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【雑談】早期退職する父に、いま思うこと

こんにちは、あいです。

タイトルにある通り、58歳の父が次年度より早期退職します。

正確には季節労働的に一時働くかもしれませんが、確実に言えることは今よりも仕事を減らすということです。

そんな父に向けて、27歳独身OLの私が今思うことを書いてみました!

ずっと仕事をやめたかった父

そもそも、父は55歳で仕事をやめたいと常々言っていました。

私が高校3年生のときにはすでに口にしていたので、10年以上前から考えていたことだったんですね。

まあ結局のところ、自宅をリフォームしてローンが発生したり、引継ぎ相手がいなくなったりして、ここまで続けてきたわけですが。

その頃はもちろん、FIREムーブメントなんて流行っていません。

そして父は、コロナ禍に入るずっと前、私が幼いころから高校生になるくらいまで、基本在宅ワーカーでした。

私は中学にあがるくらいまでは基本祖父母の家で生活しており、放課後は学童で過ごし、夜中に車で自宅に運ばれていくような毎日。

当時は共働きの両親がいること、父が基本家にいること、母は逆にほぼ家にいないことが当たり前でしたが、周囲を見渡すと自分と同じような家庭はありません。

さらに私の実家は私が誕生した年に土地ごと購入した中古の戸建てで、見た目はオンボロでした。

どれだけボロボロになっても修繕しないので、近所からは少し馬鹿にされていたような気がします。それでも結局、部屋中が雨漏りするまで住み続けました。

(馬鹿にされていたことは3年前に実家がリフォームされてから、近所の方からの対応が変わってはじめて気が付いたことです^^;;)

そして私が社会人となり、資産運用を始めた社会人3年目の25歳のとき、私は真剣に父がやっている不動産投資について話を聞きました。

そこで私は初めて気が付きました。私の家が裕福だったということに。

決して裕福自慢をしたいわけではありません。むしろその逆なのですが、もう少し経緯を説明させてください。

借金まみれで両親共働きの家庭

父が不動産投資をしているのは、なんとなく高校生くらいから知っていました。

なぜなら父の不動産投資の中心は、父の実家を賃貸物件として貸し出すことだからです。

父方の祖母は半身不随の時間が長かったため、毎週都内の病院に通い、祖母が亡くなってからも背中が小さくなった祖父に会いに行った家。

祖母が元気だった頃は親戚が集まってお正月にカニとお寿司を食べた家。七五三もそこでしました。

でも不動産投資は物件を手に入れるために莫大なお金がかかるし、父からも借金まみれとよく聞いていました。常に「現金が無い」が父の口癖です。

だからまさか、自分が裕福だなんて、思いもしませんでした。

だって父も借金まみれだし、ずっと働いてるし、母も働いています。

ほかの家は家に帰るとお母さんがいて、相談相手になってくれたり、夜ご飯をつくってくれたりするみたいですが、母は台所にというか、週末も家にほぼいません。

オンボロの家にずっと住んで、不自由さはそこまで感じなかったけれど、特別おこづかいが多いということも無かったのです。(むしろ私立の学校でできた友達よりずっと少なかった)

でも社会人になった今なら、いろいろなことが分かります。私の両親はまさに現代のFIREに近い動きをしていました。

なぜ裕福と思わなかったのか

今思えば、私は確かに恵まれた生活をしていました。

習い事はやりたいと言ったものは全てやらせてもらったし、着せ替え人形のようにされて嫌だったお洋服達は、基本百貨店で購入したものです。(バーゲンだったけど)

夕飯は自宅で食べるようなってから、父が作った料理と母がこれまた百貨店の夜間特売で購入したお惣菜が並んでいました。

妹も私も中学校は一貫校に通い、大学まで私立にいかせてもらいました。私に至っては私立学校に通っているくせして、高校時代は塾にも通わせてもらってました。

後から聞いた話ですが、預けられていた保育園では最も高額な保育料(満額)を支払っていました。当時の保育料は両親の年収によって料金が変わる仕組みだったそうです。

そして何よりも、私の家族はとにかく家族旅行が多かったです。国内にも海外にも連れて行ってもらいました。

初めての海外旅行は中学受験が終わったお祝いで行ったフランスです。当時12歳でした。

私が異国の文化や国内海外を問わず旅行が好きになったきっかけは、たくさん旅行に連れて行ってくれた両親、とりわけ旅行好きな母のおかげだと思います。

それでも私が自分を裕福だと思わなかった理由、それはおこづかいを除いて「直接お金を渡された経験がほとんどない」からです。

結婚のご祝儀を出さないワケ

私の綴っている家計簿を見てもらうと分かりますが、私は現在実家に住んでいるにもかかわらず、家賃や生活費を納めていません。

なぜなら父から「結婚するとき、よく両親から資金を援助してもらうことがあるが、お前にお金を援助する気はない。だから自分でお金を用意するためにとっておきなさい」と言われていたためです。

結婚資金300万と自己防衛資金を貯め終えた今もやっぱり、「家にいれる予定のお金はいらないから、それを投資に回しなさい」と言われます。

おかげで私は日々の生活に苦労することなく、資産運用しながらある程度のお金を自己投資や浪費、旅行に使うことができています。

直接的に金銭援助は受けていませんが、間接的に援助を受けているのだから同じじゃないかと思われるかもしれません。でも、それは全然違うのです。

もし私が裕福な家庭を自覚していたら、きっと資産運用のことなど一生考えません。親の資産を使い切ってオシマイだったと思います。

そういう意味で、私は将来両親の不動産を相続することに不安があります。自分で育てていないものを取り扱うのは非常に難しいからです。

そしてそのことに気づくことができたのもやはり、父の生き様や金融教育によるものだと感じます。

(生き様といっても、父、バリバリ生きています!笑)

父に教えてもらったこと

父から教わったことは、たくさんあります。

お金に関しては、家計簿をつけること。あらゆる投資をして、お金にも働いてもらうこと。良い借金と悪い借金があること。後払いは辛いからできるだけ避けること。

性に関して、子供を産む準備ができていないうちは避妊をすること。避妊に非協力的な相手とはどれだけ相手の他の要素が素晴らしくても付き合わないこと。

仕事に関して、貪欲に給料を勝ち取ること。それに見合う働きをすること。仕事を創出することの難しさと面白さ。組織で働くための工夫。

生き方に関して、人を変えるより自分が変わる方がはるかに簡単ということ。必要なものは買い、不要なものは1円でも買わないこと。本を読むこと。常識を疑うこと。

お金や性の話は日本ではタブーとされる傾向がありますが、教えるべきことはちゃんと話す方針のもと、子供が〇歳時点でこれを話すとすべて決めていたそうです。

もちろん子供の成長の速度は子によるので、他にも条件はいくつかあったみたいですが。

もうすぐ仕事をやめる父へ

全てを振り返って改めて思うこと、それは父への感謝と労い、そして私がいつか親になったとき、同じような方針で子供を育ててみたいということです。

この先何かをきっかけにお金持ちになる未来があったとしても、決してお金を子供にひけらかしたりせず、本人に生きる術を見つけてもらいたい。お金よりも大切なものがこの世にあることを教えたい。

あえてお金を隠す必要はないけれど、金銭的に直接援助することは基本しないようにします。

そして子供と共に成長する自分を、いつか楽しんでみたいです。

父、長年お勤めお疲れさまでした。自由にあちこちで遊ぶ計画を立てているけど、たまには美味しいご飯でも誘うから、親孝行させてね。それでは、また。

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